消費行動が社会を動かす

「中国では自家用と出荷用は農薬の量が違う」
中国を批判したい人はそういう。
ところが、これは日本でも同じなのだそうだ。
ある取材者が農家を取材して、帰りに野菜をもらったという。
「うちで食べるためにつくったものだから、農薬は少ないよ」
といったのだという。
自分の口に入るものは農薬の量を減らしているわけだ。
昔と今では農薬の危険度も違っていて、かなり安全度の高い農薬が
使われているらしいが、現実に農家はそうやって使い分けている。
形のよい野菜しか市場で取引されないし、大量生産大量消費の現代社会で、
効率を追求しなければ生計を立てられないのだから、
農薬や化学肥料を使うのを否定はできない。
そればかりか、それがあるゆえに戦後の食糧難を回避できたことは
まぎれもない事実なのだ。
そのしかたなさを生む原因は、私たちの消費行動にある。


形がよくて、安いものを選ぶ


ことが、生産者の行動を決める理由となる。
当然のことだけれども、行き過ぎている面がないか。
生産者が消費者の希望に叶うものをつくろうとすることは、
資本主義経済にのっかっている以上、農業でも同じことだ。
つまり、農薬や化学肥料を使うことの一側面は消費者の消費行動にある。
しかも、安く手に入れたものは無価値とみなされ、大量に捨てられている。
そうであるならば、多少手間がかかるため値段は高くなるが、
そのぶん捨てる部分を減らして食べる、形の良し悪しに過敏にならない、
という消費行動が必要なのではないか。
私たちスーパーで商品に手を伸ばす1つひとつの行動が、
社会を動かす原動力になっていることを忘れないようにしたい。