「ママに買ってもらったんだもん」

子どもというのは、父親が働いて稼いだお金で生活しているというのを
理解するのに、いったいどれくらいの時間を要するのだろう。
長女は母親から何かを買ってもらったとき、
「ママに買ってもらった」と思っている。
もちろん、家計をやりくりし、家事をやってくれているのだから、
家計のうちの半分は妻のものかもしれないし、買うという判断を
するのは妻だから、間違いではない。
だが、そこに父親の存在は皆無だ。
このことを憂慮した妻が、
「これはね、お父さんが働いてくれているから買えるんだよ」と諭すが、
「違うもん、ママが買ってくれたんだもん」と言い張る。
そうなのだ。
子どもにとっては手渡しでもらった当人こそ、
「買ってくれた人」なのだ。
義弟の奥さんが、祖父母から子どもへプレゼントするとき、
必ず手渡ししてもらうという。
そうしないと、もらった人に感謝しないからだ。
私も今度からそうしよう。


父親が稼いだお金で生活が成り立っていることを理解しない
まだ小さい子どもは、じゃあ、父親のことをなんと思っているのか。
やっぱり「夜寝ている間に来て、朝またどっかに出て行ってしまう人」
と思っているのだろうか。
切ないね。
父性の喪失は銀行振り込みから始まったという。
邪険にされたある父親は、ある給料日に給料をすべて一円玉に替え、
持って帰って部屋中にばら撒き、妻や子どもたちに
「欲しかったら拾うがいい!」と権威を誇示したという。
もちろん、お金だけが父親の権威ではないのだけどね。
まあでも切ないね。