もうひとつの心配

高齢者行方不明問題で、知人と話していたら、
看護師の奥さんを持つ旦那さんが、
「年金が途絶えないように、親に延命処置している人を
ちょくちょく見るらしい」
というのである。
つまりですね、自分の親の年金を当てに生活している人は、
死なれたら困るわけですよ。
医療費は保険がきく。年金を何十万円ももらっている人もいるので、
医療費と年金を相殺した結果、プラスになるのであれば、
「生きていてほしい」となるわけだ。
この「生きていてほしい」というのは、言葉は同じでも
どういう気持ちから出たものか、それが問題だ。
この言葉は誰のためを思ってのことだろう。
もし自分の胸に聞いて、「本人のため」と本当に言えるかどうか。
言い方が極めて残酷なのを承知でいうが、
お金のためなら死者をも利用するのが今の時代である。
私はこういったことが「子ども手当て」でも起きると思っている。
既に死んだ子を生きていることにして受給しつづけるケースが
必ず出てくる。体が小さいから遺体を隠すことも簡単・・・。
文字にするだけでつらい。
義務教育が始まる小学生になるまで誰も存在を把握できないだろう。
悲しいけれど、これが、都市化が急激に進んでコミュニティが崩壊した
わが国の現状なのでしょうね。頼れる人が誰もおらず、
「命を担保するものが、お金でしかなくなった」
それこそが、私たちの胸に去来する不安の源泉ではないか。


自分で書いていて滅入ってくるなあ。
もうこのへんでやめときましょう。