布団の中に入ってつらつら考える。
誰かが言った。
「満足はしていないが、幸せだ」
この意見に概ねぼくも賛成だ。
満足してしまったら成長はない。
けれども欲求を満たすだけが人生でもないと思う。
じゃあ、「満足」って何よ、
「幸せ」って何よ、ということが問題になる。
さまざまな辞書を読めば、
「満足」とは望みがかなうこと、満ち足りている状態とある。
一方、「幸せ」とはよいめぐりあわせ、幸福であることとある。
では幸福は何かというと、望んでいることがかなうこと、
心の満ち足りている様子とある。
望んでいることがかなうことは同じだが、
「幸」のほうは心に言及しているところが違う。
満足とは物質的な面をいい、
幸せは精神的な面をいうということなのだろうか。
ぼくが考えたのは、満足は欲求に対するものであるのに対し、
幸せは突然降ってくるものだということである。
たとえば、「もうちょっと食べられたら満足だ」という具合に
欲求においてのゴールにたどり着いたときに満足が訪れる。
でも、幸せというのはイメージしにくい。
「こうなったら幸せだなあ」と考えるが、
そこに到達しても幸せでない場合がある。
なのに、おいしいものを、気の置けない仲間と食べたとき
「あー、幸せー」と思うことはある。
仕事に疲れた休日にゆっくり温泉につかったとき、
寒い日の朝に温かい布団で二度寝するときに、
「幸せ」はやってくる。
そう、「幸せ」は突然やってくる。
イメージした幸せはやってこないけれども、
予期しないときにやってくる。
そう考えると、「よいめぐりあわせ」も納得できる。
「幸せ」とは「仕合わせ」であり、タイミングなのかもしれない。
そうさせるのはやはり心なのだ。
心の持ちようひとつなので、幸せには簡単になれる。
満足でなくても幸せになれる。
「満足ではないが幸せ」という精神状態は、
日々成長しようというやる気を生みつつ、幸福感を得られる
もっともよい状態ではないかと思うのだ。
経済学者などは「経済成長なしには人類の成長はない」というけれども、
これなら経済成長も視野に入れながら、心の幸福も追求していける。