負け犬根性

中学生のころからずっと抱いていた違和感。
思い出してしまった。


中学生のころ、野球部の試合で
負けた後のチームの雰囲気がいつも嫌だった。
監督の訓示のときだけしんみりして、終わったらみんな笑顔。
さっき負けたのなんかもう忘れたみたいだ。
それは高校になっても、大学になってもそうだった。
大学では頭に来て、一度など「なんで負けたのに笑ってられる?」と
先輩にかみついたこともあった。


誰だったか日本人メジャーリーガーがこんなこと言っていた。


ラテン系の選手は試合前に歌ったり踊ったりしてとにかく騒ぐ。
でもゲームに負けたら誰もしゃべらない。お通夜ですよ。
対して日本人は試合前にバカ騒ぎしないかわりに、
負けても談笑したり、ゲームをやったりしている。


日本人自体がそうなのかわからない。
でも自分の野球部生活でいま思うのは「負け犬根性」があったからと思う。
「善戦、OK!」そういう雰囲気、
「負けたけど、よくやったじゃんおれたち」という空気である。
要は最初から勝てると思っていないのだ。


バンクーバーオリンピック閉会式の、あの修学旅行的雰囲気を見て、
記念写真におさまる笑顔を見て、同じ雰囲気を感じた。
「負けたけど、よくやったじゃんおれたち」という晴れ晴れとした顔。
4年間、いやもっと長い時間をかけて積み上げてきたものが、
競技終了後の数日だけで整理できるわけがない。
負けた選手全員、納得したような晴れやかな笑顔をつくれるはずはない。
でもあれだけの破顔一笑ができるところを見ると、
たぶん、最初から金メダルを取れるとは思っていなかったのだなと思う。
「がんばったじゃん、あたし」そう思えたのだろう。
プレッシャーから開放された安堵感もあったろう。
他の国の選手がどうだったかは知らない。
でも日本の選手の多くが楽しそうだったから、
数日で気持ちの整理ができるくらいの打ち込みようだったのだと思う。
顔で笑って見えないところで泣くのが日本人かもしれない。
でもただの負け犬根性だったとしたら、情けないの一言である。
「勝てる」と自分が信じない限り、向こうから勝ちが歩いてくるわけない。
一度強敵に勝ったら次も勝てると信じられる。
ギリギリの勝負をして、爪の先の差で勝つ経験をすること。
そうやって現状打破していくことが成長になる。


むろん、それぞれの「成功のかたち」があってよい。
目標が日本記録であろうが、自己新であろうが、かまわない。
本人がそれでよしとして、応援する人もそれでよしとするならばだ。
今回は金メダルを取ろうと本気で思った選手はほとんどいなかった
――そういうことだと閉会式を見て納得したのでした。