国籍と人種

スポーツもグローバルになったなあと思います。
バンクーバー五輪では、日本人がロシア代表やアメリカ代表になり、
日本人を母に持つアメリカ出身の姉弟が日本代表になっている。
もう何がなんだかわけわからん状態です。
今回なかなか勝てなかった種目でも、「日本なら代表になれるかしんない」
ということで強い国から日本国籍を得ようとする人が出てくるかも。
欧州は緯度的にいうと、ほぼ全部が東京より北にある。
アメリカではニューヨークは札幌と同じくらいの緯度にあり、
ボストンやワシントンD.Cはさらに北にある。
そのように考えると、日本では競技人口がかなり少ないし、
ウインタースポーツは弱くて当たり前なのかもしれない。


国籍問題はそれぞれのスポーツ大会で認識が違っていて、
ラグビーW杯のように国内で3シーズン過ごせばその国の代表になれる
とか、野球のWBCなどは祖先の国の代表としてプレーできたりする。
五輪はおそらく国籍主義なのだろうけど、国籍を認める基準も国によって
それぞれ違っている。
そうなると、国の枠でメダル数を争うことがどういう意味をもつのか
考えてしまう。国籍はその国でも、普段の生活は別の国で行なう人もいる。
それだけボーダーレスになったのだといえばそれまでだけど、
国籍っていったいなんだろうと思う。
私たちは視覚情報にかなり頼る生き物なので、国籍といった目に見えない
ものよりも同じような姿かたちをした人に親近感を覚える。
すなわち人種である。
しかし、その人種も混血が進めば曖昧になる。
五輪なんかはいっそのことぜんぶあいまいなままやるほうが、
国や人種の理解が、逆に促進されるんではないかなんて思ったり。
そんな感じでテレビ観戦しています。