「小銭入れ」

昔書いて、引き出しの奥(正確にはコンピュータのハードディスの奥)に
しまいこんでいた文書が出てきたのでお届けする。
タイトルは「小銭入れ」


デスクの引出しの中や車のシートの横に硬貨を蓄えている人がいる。
家の小物入れの中にもヘヤピンや画鋲などと一緒に
硬貨を放り込んでいる人もいる。
私にはそれができない。
私の場合はどこかに硬貨が転がっているのが許せない。
ポケットに入っていても嫌だし、毎日持ち歩くバッグの中に入って
いても気持ち悪い。
硬貨はお札のお金と一緒に財布に入っていないと気がすまない。
小銭入れに入れることもない。
彼らはどうして小銭を財布以外のところに置いているのだろうか。
一度、聞いてみたいと思う。
私は自分では結構きれい好きだと思っているので、
整理するのが好きなのだと思うが、それとこれとはあまり関係が
ないような気もする。
とにかく一つのことやモノが一つのところにまとまっていないと
気持ちが悪いのである。
例えば、いくつかの仕事を並行してやっているとする。
そういうとき、必ず同じテーマの書類は必ず一箇所に固めて
おくことにしている。何箇所にも置いたりしない。
ある作家の自宅と、ある政治家の議員会館に行ったことがある。
どちらの部屋も資料の紙の束がうず高く積まれており、
書斎なのか倉庫なのかよくわからない様相を呈していた。
彼らに言わせると、どこにどんな資料があるか完璧に把握している
のだそうだ。
自宅を乱雑にしている人も必ずこう言う。
「大丈夫、どこに何があるか完璧にわかってるから」と。
そういう人はいい。
だが、私の場合はたぶんある程度まではフォローできても、
それ以上はパニックになってしまい、どこに何があるかなど
すぐに忘却のかなたへと消し飛んでしまうことだろう。
同じ理由で、硬貨も財布の他にはどこにも置いていない。
お札をどこにでも置く人は少ないと思うが、
硬貨はさまざまなところに置く人がけっこういる。
机や車にお金を溜め込んでいる人は男の人に多いような気がする。
あまり女性でそんな人は見たことがない。
若い女性が机の中に隠し持っているお菓子とはわけが違う。
現金、キャッシュなのである。
どうしてそういう人がいるのであろうか。
硬貨は使ってこそ意味がある。
私はどこかに積んでおくほどお金持ちではないから、そういう癖はない。
硬貨をそこらに溜めておく人というのは、几帳面でないとか
整理整頓好きでないということでもないと思う。
彼らは100円玉なら100円玉、10円玉なら10円球をきちんと
整理して並べているのだ。
ならば彼らはお金持ちなのだろうか。いや、それも違う。
経済的には私と変わらないような人でもデスクや車の中に
小銭を置き去りにしているのだ。
人類には財布にしかお金を入れない人と、財布以外にも
お金を持っている人の二種類がいると言われている。
どうしてそうなのか、この人類史上希に見る難題を、
ことさら時間を使って調べてみる気にはなれないが、
何かの性格の傾向が見て取れるかもしれない。
小銭といえどもお金は財布に入っていてこそその真価を
発揮することができると、私は信じている。
車のシートの横や机の中に整然と小銭を並べている人も
「ちょっとタバコを買うときや、高速道路の料金所でお金を払うときに
使うときが必ずくるんだよ」というだろう。
そういうときは財布から小銭を取り出せばよいではないか。
簡単なことではないか。
とにかく私は同じ種類のものをいろいろなところに
置いておくということができない。
何をどこに置いておいたかわからなくなる人は、
同じ種類のものは一箇所にまとめておいておくとよい。
いろいろなところに置いているから、わからなくなるのだ。
(2004年月4日)


文書はここで終わっている。
このあと何を書きたかったかはいまになってはわからない。
いまとなっては思い出せないし、思い出す必要もない。