無縁社会の現実

NHKスペシャルの「無縁死3万2000人の衝撃」を観ました。
3万2000人もの人が無縁死しているという。
その半数が家族や親戚などから遺骨の引き受けを拒否されるという話。
この人たちの遺骨は「無縁仏」として行政で処理される。
こういう話は、以前はホームレスの死での話だった。
しかし、普通にアパートに住んでいる人が亡くなっても起こりうるのだ
という事実はたしかに衝撃であった。


私が住む家から車で15分走ったところに、いわゆる多摩ニュータウン
して大規模マンションが林立する地域がある。
一棟で3000人が暮らすなんてザラだ。
こういうマンションが1つできるごとに地方の村ひとつが消滅するという。
3000人ぐらいの村は全国にいくらでもある。
地方の経済基盤が弱くなったせいで、若者は都会に働きに出る。
そのときに地縁はおろか、血縁も断つ。
都会で結婚し、子どもにめぐまれれば、配偶者との血縁者や子どもや孫と
いった血縁の関係によってつながりができるが、結婚せず、
子どももいなければ、男性の場合、会社を退職すれば「職縁」さえも
断たれることになる。
都会に出ていく時点で勘当扱いになっている人も多い。
だから遺骨の受取り拒否ということが起こるのだろう。
結婚して子どもができたとしても高齢社会では、
子のほうが先に死ぬことは十分考えられる。
結婚して子どもをもてば解決するという個人の問題ではもはやない。
そうなると、誰でも孤独死が現実的なものになってくる。
血縁、地縁、職縁が断たれた状態で、唯一命を担保するのは、
お金である。
死ぬまで面倒をみてくれる老人施設にずっといられる年金をもらえるか、
同程度の資産のある人しか安心は得られない。
安心を得るために人は貯蓄する。何かあったときのためだ。
これでは景気がよくならないのは当たり前だろう。
昔は強固な血縁、地縁があったから、地域でお互い面倒をみた。
「お互いさま」の感覚があった。
けれども現代人はそうしたものは古臭くて忌避するものとして捨て去った。
だが、「さあ、自由にやんなさい」と言われたけれども、
今度は自立することの不安がつきまとうようになった。
今後、非婚化が進み、少子高齢化がさらに進むと、
「一人っ子が親より先に死ぬ」という状況も多く発生するようなるだろう。
そういう状況の中で孤独死、無縁死を防ぐには
コミュ二ティを復活させるしかない。都市の匿名社会から脱するしかない。
地方経済を立て直し、誰もが正社員になれるようにし、
非婚化を改善しなくてはならない。


そんなことが本当にできるのだろうか?


社会的動物である人間にはいかに「つながり」が必要であるか
改めて認識させられる番組だった。