やらなかったときは気づくが、やったときは気づかないことってナーニ?

先月の25日、仕事納めの日であり、大掃除の日でもあった。
この事務所に引っ越して10年が経つ。
床もそうとう汚れている。特にイスをひきずったあとが
黒く残り、ちょっとやそっとでは落ちない。
「10年のうらみを落と・・・いや、汚れを落とすぞ」
と一念発起し、強力洗剤とデッキブラシ(魔女の宅急便の彼女が
またいでたやつね)でゴシゴシやった。
そのとき、会議スペースのところと自分のところと
あと他の社員のところはやったが、社長のイスのところだけ
忘れてやらなかった。そしたら、いじけて
「オレのところだけやってない! なんだか悪意を感じる!」と
冗談めかしてはいたが、明らかに憤りの声を上げた。
そこで、次の掃除の機会のとき、
社長のイスの下を同じようにキレイに磨いた。
誰が見ても明らかにキレイと思えるレベルに。
しかし、彼は気づかなかった。
そういうもんである。
やらなかったときは気づくが、やったときは気づかないのが掃除だと
勝間和代さんも言っている(ウソ)。
「そういうもんである」
と思った瞬間、わが身を振り返った。
自分ちでも同じではないか。
掃除をしていない箇所は指摘するが、
「キレイになったね」とは言わない。
人のことは言えない。
「そういうもんである」
とここでいうのはズルイだろう。
「できていない」ことを指摘されるより、
「できた」ことを指摘されたほうが、やる気が出る。
掃除ってそういうもんでしょう。
でも「できてない」ところばかり指摘するのよね、人間って。
返す返すも残念なことだ。
「できてる」ことに気づく人でありたいな。