書き文字は関西弁のみ許される件について

たまに書き文字が方言になっている人がいる。
方言といっても「市民権」(?)を得ているのは関西弁だけである。
ネット上では書き文字でギリギリ許されるのは関西弁だけである。
通常は文語と口語というのは違っていて、
その時々に応じて使うのが常識だが、
文語でも方言を活用しているのは関西出身者が多い。
それ以外でお国の言葉を使うときは、あえてその地方の出身である
ことをアピールしたいとき以外にない。
たとえば、岡山の人が岡山の人たちのみ集まるコミュニティサイトで
発言をする場合などだ。
しかし、関西の場合は関西弁にかなり強いこだわりをもっていて
関東にきてもそのまま関西弁を貫く人も多い。
関西人なのに東京弁を話すと「東京に魂を売った」といわれる。
東京コンプレックスの強い大阪人は特にその傾向が強いようだ。
一方で、「憧れとしての関西弁」と、「道化としての関西弁」が
関東で使われていることは、あまり関西の人は気づいていない。
生粋の関東人ではなく、地方出身者の東京住まいの人たちである。
「憧れとしての関西弁」とは明らかにお笑い芸人の影響である。
人を笑わせたいときなどに、あえて関西弁を用いるケースである。
お笑い芸人然とした雰囲気を容易にかもし出すことができるからだ。
「道化としての関西弁」とは、「やわらかい指摘」とでもいえるものだ。
つまり、「そんなわけないだろ!」と指摘するよりも
「なんでやねん!」というほうが、場がなごむ。
やわらかい言い方になっている。そういうイメージをかもし出す。
「私、○○でんねん」なども、「私は冗談で言ってますよ」のアピールと
して使う。そうしないと、関東人はボケを気づいてくれないからだ。
実際、私など笑いながら「んなわけない!」っていうと、
「す、すいません!」と謝られたりするし、冗談で言ったことに対して
本気で反論されてしまうという憂き目にあうことになる。
そういう意味では、関西弁を使うことである意味、
「私はあなたとたのしく、ざっくばらんに会話したい」という
サインとなるのである。
そうそう、忘れていたがもう一つ関東人が使う関西弁がある。
それは「商人としての関西弁」である。
「堺の商人」のイメージからあきんどとしてのイメージを付加させたい
ときに関西弁を使うパターンである。
たとえば、「もうかりまっせ」というのがそれだ。
関東地区で居酒屋でサラリーマンが新しい商売の話に花を咲かせている。
「これをつくって、あそこで売ればいい。そら、もうかりまっせー」
というような使い方である。むろん、半分は冗談のときである。
マンガなどでもこの手法はよく使われる。
同じようなことは「果断な九州男児」を
連想させる肥後弁などでも見られる。
ひるがえって考えると、書き文字でも同じことがいえる。
関西人でもないのに関西弁を書き文字であえて使っている場合は、
使っている本人が、相手に対して
「憧れとしての関西弁」
「道化としての関西弁」
「商人としての関西弁」
のいずれかのイメージを刷り込みたいと考えてのことだといえる。
ただし、有効なのは相手が関西人以外のときであって、
エセ関西弁を、関西人に対して使うとひどく嫌悪の対象となるので
注意が必要である。
関西弁の取り扱いには十分気をつけたいものである。