グラン・トリノ

クリント・イーストウッド監督・主演の作品。
戦争を経験し、その後、自動車メーカーで工員をしていた老人が
妻に先立たれるところから物語ははじまる。
隣家にはアジア系のタオ族の一家が住んでおり、そこの少年が
親戚の不良グループから車を盗めと命令される。
その車こそが「グラン・トリノ」で老人の自慢の車だった。
老人は盗みに失敗した少年と徐々に心を通わせていく。


イーストウッドの映画は渋め路線で、映画に一家言もつ素人評論家たち
には気に入られている監督・俳優さんだと思う。
この映画では、息子たちとの付き合い方を知らない
偏屈な頑固じじいとして自らをプロデュースしている。
ぼくは彼の若いころの作品をほとんど観たことがない。
最も若い時ので「アルカトラズの脱出」ぐらい。
監督作品は「パーフェクト・ワールド」が一番古いか。
彼の作品は鑑賞後、「スッキリしない」ところがよい。
なんというか、
「あれはこういう意味か」
「こんなことが言いたかったのではないか」
といろいろ考えさせられ、しばらく消化不良になる。
ミリオンダラー・ベイビー」とか
硫黄島からの手紙」など「生と死」や「国や人種」といったテーマを
扱っているからだろうか。
今回もそういうテーマだったと思う。


主人公の偏屈な頑固じじいは、息子家族が来てもおっぱらって
しまうのだけど、後になっていう。
「息子たちとの付き合い方がわからなかった」。
年をとって頑固になっていくのは、若い人から見た視点であって、
彼らは筋を通して生きているのかもしれない。
社会が急速に変化していくなかで、自らは変化を拒むことが
その人のアイデンティティを守り、ひいては精神衛生を保つこと
なのかもしれないと思う。
そう考えると、自分もいつかそうなるのであり、老人とどう付き合うかは
とりもなおさず自分の問題なのだと思う。
その点、タオ族の人たちはこの老人をただの人間として
分け隔てなく付き合う。そこから老人の心はときほぐされていくのだが、
その過程に見ごたえがあった。
私的に「スッキリしない」映画であったことは確かで、
それだけにおススメしたい映画である。