「あの日」の教訓

あれからもう8年もたった。
2001年9月11日、いわゆる「9・11」だ。
あの日、ぼくは会社から帰って、まだ久米広が司会をしていた
ニュースステーション」の画面にかぶりついていた。
すぐに友人に電話し、「すごいことになった」と興奮して話した。
2007年になって、現場のワールドトレーディングセンターの跡地
(当時、グラウンドゼロと呼ばれていた)を訪れたときは、
知人が死んだわけでもないのに、なぜだか胸が締め付けられるような
思いになったものだった。
あれからアメリカは確実に変わった。
厳しくなったのは、航空機の搭乗時のセキュリティチェックだけではなく、
基本的には人に、特に外国人に対して厳しくなった。
人を信用しなくなってしまったように見える。
みんなが疑心暗鬼にかられ、おびえている。
なぜあのビルが標的になったのか、自分たちの行いを反省する声も
一部にはあったが、「報復せよ」の声にかき消されていった。
そしてウォール街は、サブプライムローンを生み出し、破綻させ、
世界中に不良債権をつくった。
その処理が終わらぬうちに、またぞろ第二、第三のサブプライムローン
生み出すべく、うごめている。
ワールドトレーディングセンターの事件でなくなった人以上の人が
サブプライムローンが生み出した不良債権や、それに付随する不況に
よって命を落としただろうし、今も命を落としている。
人はセンセーショナルに人が死ぬ場面には強烈に反応するが、
困窮したり、追いつめられたりして、殺されたり、自殺したりする人が
毎日300人いても反応しないものである。
戦争で死ぬ人の94%は銃によって死ぬ。
空からの爆撃でもなければ、長距離弾道ミサイルでもなければ、
大量破壊兵器」でもない。
映画『ロード・オブ・ウォー』でのセリフを借りれば、
実は大量破壊兵器は銃なのだ。
なのに誰も銃を規制しようと言わない。
飛行機に危険物を持ち込ませないようにしようという人はいても、
「あぶなっかしい投棄的金融商品は売らせないようにしよう」という
人がいないのに似ている。
9・11」や「サブプライム」の問題がどこにあるのか、
正しく認知する「目」が、いま求められている。