マクロとミクロ

メディアの記事や日常の会話に至るまで、誤解のタネになるのは
会話の中の基準をどこに置くか、ということに両者の間で溝が
できてしまっているからです。


物事はマクロでみるか、ミクロでみるか、で言い方は異なる。
たとえば、いま取り沙汰されている「派遣切り」について。
マクロでみれば、企業は「派遣労働者との契約を切るべきではない」し、
「派遣切りにあった人たちは不運だ」ということになる。
ところが、個々のケースを見て行くと、
派遣労働者との契約を切って人件費を削減しないと共倒れになる企業が
あり、派遣切りはやむをえない」こともあるだろうし、
「貯金をしていなかったための自業自得」の労働者もいるだろう。
それなのに、「派遣切りにあった人たちは考えが甘い」と、
個々のケースと取り出して全体を述べると誤解が生じ、問題となる。
ただ、個々のケースを考慮すると何もいえないので、総じて
「派遣切りにあった人たちは不運だ」ということになる。
これがみんなの総意としてそれほど違和感がなければ受け入れられ、
違和感があれば反論がくる。
「派遣切りにあった人たちは考えが甘い」という発言に
違和感があれば、問題になる。
ただ、今回は企業側も労働者側も責められないほど事情が特殊ではある。
こういうときに頼りになるのが政府なのだろうけど、
過去にあまり例がない事態だけに有効な手立ては期待できそうにない。