かまってほしい人たち

かまってほしい人たちがたくさんいるのだなと思う。
「誰でもよかった殺人」とか、「列車落書き」などの犯行を
知ると、そう思わずにはいられない。
こういう行動の裏に「おれはここにいるよ」っていう悲痛な叫びが
聞こえてくるような気がする。
愛情の反対語は「非情」ではなく、「無関心(無視)」だと
マザー・テレサがいったという。
彼らは愛情を受けていないばかりか、無視されているのだ。
人としてこれ以上の苦痛はないでしょう。
無視されているのは、ナンバーワンにもオンリーワンにも
なれないからではない。たとえ、ナンバーワンにもオンリーワンにも
なれなくってもいいのではないかな。
ナンバーワンにもオンリーワンにもなれない人生は無意味か?
そんなことはないでしょうに。
普通に生きているだけでいいのにね。
世の中は決して、エリートや社長や、美女や金持ちや、成功者や
イケメンや、風雲児やスターばかりで成り立っているわけではないのに。
外に出て、街を歩いて、地味な努力を何十年と続けて
つつましく、普通に、ただ生きている人たちに会うと、
そういう人のおかげで、今日もものが食え、屋根のあるところで寝られ、
洋服を着られ、安全に街を歩けることに気づく。
そしたら、自然と何にでも感謝できるようになると思うのだけど。