秋葉原の連続殺傷事件で、賑やかに報道している。
驚くのが、「容疑者に共感する」っていう人が多いという報道だ。
あんなのに共感する人がいるのかと、うすら寒い感じを受けるのとともに
そういう人が多いという報道はいかがなものかとも思う。
多いって、どれだけの人数のことを言っているのか。
容疑者は、現実世界で友だちができず、つながりを求めてネットの世界に
流れたのだが、そこでもつながりができず、最後は「事件を起こせば
やっと俺を相手にしてくれるだろう」という意識から事件を起こした
ともいえる。あれが容疑者の最後の表現方法だった。
同じような境遇にある人は確かに多いと思う。
こういう報道を見聞きすると、
「そうか、事件を起こせば誰かが俺に気づいてくれる。
相手にしてくれるんだな」と思っても不思議ではない。
何か訴えたいことがあり、自暴自棄になっている人は事件を起こす。
それが耳目を集める、最も手っ取り早いだと錯覚するに違いない。
「共感する人」は多くはないと思う。
報道するときは「最近こういう人が増えています」というのが
決まり文句だが、そうしないとその話題に興味をひきつけられない。
「最近こういう人もたまにいます」では誰も見ない。
「まあ、そういう人もいるわな」ですまされてしまうからだ。
「〜な人が多い」というのを真に受け取る人もいるのだ。
だから、誰も共感などしないのだから、「事件を起こしてもムダだ」と
報道しないといけない。
同じ理由で、契約社員の問題は別にして報道してほしい。
もしあの事件が契機だったとしても、事件と契約社員の問題を
関連付けてはいけない。
容疑者が何か問題提起したような気分にさせるのはよくない。
殺人を自己表現の手段にしてはならない。
今後、こういう報道が改められないと、
同じような事件が今後も起こるに違いない。