疑い

あの秋葉原での無差別殺傷事件があった翌日、
友人Fはこんな経験をしたという。


仕事の帰り、最寄り駅から自宅マンションに向かうとき、
前方を若い女性が歩いていた。
Fのマンションのほうに歩いていく。
5メートル前をどんどん歩いていく。
彼女はFのマンションに入っていく。
後ろを振り返る女性。
マンションのオートロックの入口を開ける女性。
ちょうどいいと、Fも入っていった。
彼女がエレベーターの前で待つ。
あとからFがやってくる。
彼女がエレベーターに乗り込む。
Fがエレベーターに乗り込む。
彼女が5Fのボタンを押す。
なんと、Fと同じ階に住む住人だったのだ。
その刹那、女性は


「すっ、すいませんっ!」


と言って、脱兎のごとくエレベーターから降り、
マンションから出て行ってしまった。
私は笑えなかった。
今までなら「そういう自意識過剰な人っているんだよな」と
一笑に付していただろう。
でも、もう今の時代、無理のないことだ。
Fも別段、ショックということもない。
彼も「わかる気がする」というのだ。
Fは普段、スーツを着ている。
怪しい格好も、不振な行動もしていない。
その女性も、まさかとは思ったであろう。


そんなことはないと思うけれど、用心するにこしたことはない


という感覚だったんじゃないか。
それが、「すいませんっ!」に現れている。
かくいう私も夜道は女性の後ろを歩くときはちょっと気を使う。
ゆっくり離れて歩くか、一気に追い抜いてしまうようにしている。
変に勘ぐられるのは気持ちのいいものではないからだ。


最近のおかしな事件が人々に植え付けた恐怖と不安は
はかりしれないものがある。
私たち普通の人も、不振人物に見られないように配慮しなければならない。
どうにもならない息苦しさを感じる。