日本人であるということ つづき

日本人であるということ
で書いた知人男性に、「日本人だからというだけで得をした」という
具体的な経験について、聞いてみた。
彼はアメリカの大学に通い、8年住んでいたのだが、
初めてニューヨークにアパートを借りるというとき、
向こうの不動産屋を回った。
一軒目では、簡単に断られた。クレジットカードさえ持っていなかった
彼が門前払いされるのはかの地では普通なのだ。
ところが、二軒目では簡単にアパートが見つかった。
「日本人? ノープロブレム!」だというのである。
なんでも、そのアパートにはかつて日本人が住んでいて、
「家賃が滞納したことは一度もなかったし、とてもいい住人だったから」
というのである。
そこで彼は思う。
「自分が生きてきた人生を評価しているのではない、
ただ単に日本人というだけで得をした。これがアメリカが悪の枢軸
と名指しする北朝鮮イラク人の人だったらどうだろうか?」
人ひとりの人生において、これほどの理不尽はない。
「私は前に住んでいた誰か日本人のおかげでアパートに住むことができる。
私がいい住人であれば、次にやってくるかもしれない日本人は
たぶんすぐにアパートに入れるだろう。つまり、国籍やその国の人である
ことが、人の評価に多大な影響を与えるのだということがわかった」
というのである。
おそらく、具体的には意識しないけれども、私たちが行く海外旅行では
日本人だというだけで信頼されていることはあるはずだ。
先人がつくってきた歴史が、そうした信頼をもたらしたわけだ。
日本人は世界でそういうふうに見られている、
ということを、知っておいても損はないように思う。
ちなみに、英BBCが行った世界の1万7000人を対象のアンケートに
よると、世界に好影響を与えている国として、日本がドイツと並んで
1位であったことも付け加えておこう。
最近、「日本人であること」についてよく考える。
年のせいだろうか。