日常と非日常

以前、日本一周温泉の旅に出発した知人の話をした。
知人といっても、一緒に仕事をしたことのある仲間です。
友だちというには、彼が会社を辞めてから日が浅すぎる。
ブログを覗くと、そんな彼がとうとう出発したという。
(ブログはリンク内の「温泉ファンド」です)
日本全国の温泉(温泉地ではない)を3000箇所入浴してやろうという
ばかばかしくて、とってもクールな企画だ。
私は、こういうのは大好きだ。


ひそかに私が日頃思っている疑問を腑に落としたいと
思っていることがある。それは、
「人間というのは、非日常が日常になったとき、
それをいつまでたのしめるのだろうか」
ということである。
キューバダイビングをやっていたとき、ダイビング好きが高じて
インストラクターになった人の話を聞くと、それを仕事にしたことで
逃げ場がなくなったのか、結局やめる人が多いらしい。
また、田舎暮らしを始めた人も3年ぐらいで都会に戻ってくる
人が多いのだという。
「1年目は観光、2年目は土いじり、3年目は読書とDVD」
をやって過ごすのだそうだ。
4年目になると、やることがなくなってきてイヤになるのだという。
どちらのケースも非日常を日常にしてしまったがゆえの
失敗だったのだと思う。
もうひとつ共通するのは、ダイビングや田舎が心底好きというよりは、
それまでの仕事や生活から逃れたい一心で始めてしまった
ということではないかな。
自分の中に新しい価値をつくるという積極的な理由より、
何かから逃れたいという消極的な理由ではじめたら必ず失敗する――。


私はこのように思っているので、その仮説を証明するためにも
彼には途中リタイヤすることなく、ゴールしてもらいたい。
彼の場合は、仕事や都会から逃れたいというよりは、
心底温泉が好きなのだろうから。
ばかばかしくてクールな挑戦を見守っておこうと思う。