「フランダースの犬」と日本人

ちょっと前に「フランダースの犬」のアン・ハッピーエンドが、
なぜ日本人だけに受け入れられるのかを分析したという記事を目にした。
少年ネロは、放火の濡れ衣をきせられ、村を追われ、さんざん彷徨った
挙句、一度観てみたかった絵を見たところで力尽きるという物語だ。
欧米人は、「救いがない」とか「単なる負け犬の死」という捉え方だと
いうのだが、日本人の場合は違うのだという。
この物語を扱ったドキュメンタリーを制作したプロデューサーは、
「日本人は、信義や友情のために敗北や挫折を受け入れることに、
ある種の崇高さを見いだす。ネロの死に方は、まさに日本人の価値観を
体現するもの」といっている。
けっこう的を射ていると思う。
確かに日本人にはあえて敗北(あるいは死)を受け入れるところがある。
たぶん、武士道の影響があるからだと思う。
いわゆる滅びの美学というやつだ。
そろそろ娘のために絵本を選ぶようになってきたのだけど、
今後言葉がわかるようになってきたら、アン・ハッピーエンドであっても、
大切なものを語っている絵本にしたいと思う。