外部刺激ばかり求めてもダメ

食が活動のエネルギーを得るためだけの作業と化しているうちは、
本当のおいしさなんてない。
でも、作業でなくなったときに、本当のおいしさがある。


経済学者の森永卓朗さんは大学で教えているが、ゼミ合宿の中日に
学生たちと釣りをして、釣れた魚を宿の人に料理してもらったそうだ。
「ひいき目かもしれないが、今年食べた魚のうちで一番うまかった」
のだそうだ。


また、ミスチルの「1999年、夏、沖縄」という曲の中に
こんなフレーズがある。


酒の味を覚えてからは いろんなモノを飲み歩きもしました
そして世界一のお酒を見つけました それは必死で働いた後の酒です


これらのことは「うまい」とはどういうことかを示している。
ともすると、私たちは味という化学物質から感覚する外部刺激
ばかりを求める。心の状態が味に変化を与えることを忘れている。
その日の体調や気分、誰と食べるかによって味は変わる。
思い出が加味されることもある。
こういうものをひっくるめて、「うまい」と脳が感じる。
「食べる」ことが単なる作業ではなく、「生きる」ことと同義になる。


タイヤで有名なミシュランがレストランガイドの東京版を出した。
ランク付けするのが好きな人たちというのはいるので、
それはそういうものとして、あっていいんじゃないかと思う。
認められている人に認められるのはうれしいことだろうし、
選ばれなかった飲食店は選ばれるようにがんばればいいこと。
ただ、評価を下す人の体調や精神面が常に一定でない以上、
完璧に公平な評価は下せない。批評というのは常にそういうものだと
いうことを認識していく必要がある。
そして、この評価を鵜呑みにしたり、評価が低いからといって
さげすんだりするようなことがないようにしたいものだ。


私たちが食をたのしむときに最も大切なことは、
誰とどのような目的で食べるのかを考えたうえで、
その目的にあった店を選び、料理を食べることである。
そして、食事をおいしくするのに最も簡単な方法は、
特殊な調味料を加えることではなく、
気の置けない人と一緒に食べることである。