ディズニーアニメとアメコミはどこがどう違うか。
ヒマに任せて断続的に考えていたことがちょっとわかりました。
日下公人さんという大変ご高名な経済人がいらっしゃいますが、
その著書の中で日本のアニメ文化について書かれてありました。
日本と欧米での文化の違いをこう説明しています。
欧米では子どもは未完成、大人の世界は理性でなりたった完成された世界。
だから欧米では子どもっぽいことは否定される。かわいいという感覚は
教育では否定されるから、子どもっぽいことは動物で表現される。
だからディズニーは動物ばかりだというのです。
一方、日本では子どもは人間らしさの原点であり、大人になると社会に
適応するために、原点からはなれて不幸な存在になる。
(「私はけがれてしまった」という人がいるのはそのせい)
大人になることは特殊化、枝分かれしていくことであるというのです。
さらに、マリアに抱かれたキリストは大人のような顔をしているのは、
彼が神の子だから、全知全能のような、それを表す顔でないと
いけなかったからだといいます。
つまり、欧米ではアメコミのように、完成された大人の世界で
完成されたヒーローが活躍しなければならかった。
そして、子ども的なものはすべて動物で表現されるようになった。
日本にはそうした概念がないから、子どもがだんだん成長していく物語が
アニメとして表現できる。ディズニーとアメコミの中間をすべて埋める
ことができるというわけだ。
証拠に、アメリカでは日本の漫画は「グラフィック・ノベル」という
棚に並んでいるという。
「kawaii」が英語になったり、パフィーの人気が出たのも、欧米人が
「かわいいって、いいよね」と認めはじめたからなのだ。
これで、アメリカのディズニーワールドには子ども連れしかいないのも
謎が解けた。日本では大人も「かわいい」を認められるから、
20代、30代のカップルでもディズニーランドに行って楽しめるわけだ。
日本には宗教観の違いから、圧倒的に多様なキャラクターを登場させる
ことができ、さまざまなシチュエーションを生み出すことができた。
だから日本アニメが世界で受け入れられた。
これは別のコンテンツ産業にも言えることだと思う。
他の国が宗教上の問題でできないことが、日本はできるということ。
あ、そういえば、「まんが日本昔ばなし」はほとんど儒教や仏教の
考え方が下敷きになっているものが多いですね。おもしろいもんです。