「鉄っちゃん」の考察

私はこれまで熱狂的にものごとにこだわったことがない。
だから、そういうことができる人を見ると
少しだけ、ほんのすこしだけ憧れる。
世に「鉄っちゃん」という人類学上の分類がある。
鉄道をこよなく愛す人たちのことを、敬愛を込めてそう呼ぶ。
鉄っちゃんにもいろいろカテゴリーがあって、
乗るのが好きな「乗り鉄」、写真を撮るのが好きな「撮り鉄」などがある。
切符を集めるのが好きな人、ホームにある駅名の看板を写真におさめる人、
それから駅弁が好きな人など分類も細分化されている。
私の自宅のそばを走る南武線という鉄道は、貨物列車も走るのだが、
どこで調べたのか、貨物列車も写真におさめる撮り鉄の御仁がいる。
私が一番好きな乗り物は路線バスだが、バスが好きなのは
たぶん子どものころの遠足が楽しかったからだと思う。
バスはいつも楽しい思い出と一緒に脳に刻まれていた。
鉄っちゃんたちもたぶん、何かしら楽しい思い出とともに
電車の記憶が脳に刻まれているのだろうな。
子どもには何か趣味というか、こだわりをもってほしいが、
できれば鉄道ではない何かにしてほしい。
鉄道はファンが多すぎる。
かといって、どこかのサックスプレイヤーのようにミジンコ研究も
どうかと思うから、難しいのだが。
私はいろいろなものに興味を持てる。
いろいろなことをおもしろいと思える。それは才能だと思う。
そのかわり、強烈にのめり込めるものはない。
結局、人はどっちかを手にするのかもしれない。
結局、ないものねだり、ということなのかもしれない。