刷り込まれた情報によって人は間違いを犯す。
先入観と言ってもいい。
そういう情報があればあるほど物事を理解するのは早くなるが、
慎重さがなければ間違った理解をしてしまう。
昔、社会人二年目だったか、会社を午前中だけサボるつもりで
大学野球部の後輩たちの試合を見にいった。
その試合はなんと延長18回にまでもつれ込み、
会社に到着したのは午後4時近かった。
同僚が「顔が赤いよ。大丈夫?」という。
そう。
試合観戦で顔が焼けてしまっていたのだ。
それまでまじめで通していたから、「熱があったのに
がんばってきたのだな」と正反対の評価を下してくれたようだった。
また、こんなこともあった。
友人の結婚式に出席して、友人代表のスピーチをしたときのこと、
暗記した内容が途中で一項目ほど飛んでしまった。
頭が真っ白になりかけたので、必死に思い出そうと試みた。
空白の時間が流れた。約7、8秒のことだったろうか。
その後、新郎の友人であるという人と二次会の席で飲んでいると、
私の職業を知ったその友人がこういうのである。
「スピーチのときも感極まって泣きそうになってましたもんね。
いやー、やっぱりライターになるって人はそうじゃないといけませんね」
だって。
私はあとで笑った。
記憶がとぎれたための沈黙を、「感極まった」と彼は受け取ったのだ。
人というのはこうまで都合のよいように解釈してくれるのだ。
日頃の行いがよければ、何かあっても好意的に解釈してくれる。
裏を返せば、人がいかに先入観を駆使してものごとを処理して
いるかということだ。
この二つの出来事は、そのことを知る上では
なかなかおもしろい経験であった。