悪い奴ほどよく眠る

「生きる」に続いて、黒澤明監督作品を観ました。
権力を持った悪に立ち向かうには、自分も権力を持つか、あるいは
法を犯し、人生を棒にふる覚悟で悪になるしかない。
毒をもって毒を制すというやつです。
どうにもならない役人の汚職のやるせなさが、
びんびん伝わってくる映画です。
主人公の西は、住宅公団の副総裁岩淵の娘と結婚、岩淵の秘書となる。
この岩淵というのがどうしようもないワルで、
周囲の人間を取り込んで、贈収賄をやりまくっている。
権力とカネをもっているだけに強いわけです。
簡単に人の心を買収していく。
だがどこかでほころびが出てくると、そこを無理に取り繕うとする。
その過程で人の命も奪われたりする。
権力ある人に追いつめられたとき、役人は「もう俺は終わりだ」となる。
罪を犯せばそれが一生ついてまわるけれど、
会社内で昇進できなくなるのは一時のことでしかないのだから、
役所さえ辞めればいいではないか、
普通の人はそう思う。
けれど、「役人は仕事としての自分がすべて」なのだということを
この映画は語っているように見えた。
いみじくも、「奴は人間じゃない、役人なんだぞ!」という劇中の言葉
にもそれは見て取れる。
今なら仕事だけが人生ではないという価値観もあるが、この時代は
仕事がすべてだった。役人は特にそれが強い。
改めて、税金を扱う役所というか、公的機関のシステムの不備を思う。
「人のカネ」だから人を狂わせる。
けれども、誰かが「人のカネ」を扱わなければならない。
「罪を憎んで人を憎まず」という言葉があるけれど、役人がらみの汚職
こそこの言葉はふさわしいという気がした。
黒澤監督の役人の汚職への強い憤りが伝わってくるようだけれど、
それのみに留まっていないのは、人の葛藤や苦しみがちゃんと描かれて
いるから。立場は違っても、どこか共感を得るものになっている。
黒澤映画にはそうした普遍的なヒューマニズムがある。
ますますほかの黒澤映画も観たくなってしまいました。