うかつに言えない

子供ができるできないが、こんなに深刻になったのは
いつからなのでしょうか。
先日、新聞にこんな意味の記事がありました。
50代の女性の悩み相談で、友だちに孫の話をされるのが
苦痛でしかたながない、心が狭いのは自分でもわかっているが、
私はみんなの共通の話題で盛り上がりたいのです、それって
わがままでしょうか、というのです。
彼女には息子がふたりいるらしいのですが、ふたりとも結婚はしているが、
子供ができる気配がないのだという。
孫の話でさえこうなのだから、自分の子どものこととなると
推して知るべしでしょう。
こういう話を見聞きすると、自分の身を振り返って、
「私が子供できないのを知って、わざとたのしそうに子供ができたなんて
話をしているんだ」なんて思われてないでしょうね……と疑ってしまう。
(私のただの思い過ごしであればいいのですが)
子供の話をするときは、最近は気をつかうのです。
自分たちに子供ができたとなればなおさらです。
「『子供まだ?』って最近は聞いちゃいけないんだってね」と
ある年配女性が言っていた。
昔はそういわれたら「期待」と受け取っていた。
しかし、今は「プレッシャー」になるというのです。
この話は一例に過ぎないのですが、ほかの例を見渡してみても
なんというか、人々の気持ちに、弾力というか寛容さのようなものが、
だんだんと失われていってる気がするのです。
何かいうとすぐに傷つき、嫌な気分になり、最終的に嫌味を言う。
上を仰ぎ見てはねたみ、下を見てはさげすむ。
虚栄心、見栄、意地、自尊心……そんなものが見え隠れする。
早く結婚したからって、子どもが生まれたからって、人間として優秀なの?
そんなわけはない。
結婚したから勝ち? 子供がいなければ負け?
もうそろそろ「早い遅い」とか、「あるなし」で勝ち負けを競うのは
やめにしてほしいのです。
プレッシャーを感じてしまうのは、社会にそういう雰囲気があるから。
そして、そういう雰囲気があるのは、プレッシャーを感じる人を含め
多くの人の根底にそんな考え方があるからでしょう。
何を言われても笑って流せるような、心の弾力がほしいです。