プロ野球にビデオ判定はいらない!

プロ野球界がついにビデオ判定を導入するという。
審判による誤審が相次いだための処置という。
ぼくはこういう話は、とても頭にくる。
プロ野球選手はいう。
「審判のレベルが低い」
「こっちは人生がかかっているんだ」
失礼ながら、あんたたちは何様だと申し上げたい。
ぼくはスポーツというものは、どんな理由があるにせよ、
審判すらも人間がやるからおもしろいのだと思う。
選手ら自身は、打撃で7割も失敗するというのに、
どうして審判の失敗は許せないのだろう。
審判だって失敗する。人間だからだ。
失敗もひっくるめてスポーツではないのか、と思う。
もちろん、審判にも競争原理を導入して技術の向上を図る
ことは必要だ。だが、ビデオ導入は筋違いだ。
これは失敗に厳しくなっている社会の裏返しなのだと思う。
失敗を容認できない許容範囲の狭さを感じる。
ちょっとの誤審ぐらいものともせずに活躍するというぐらいで
ないと、大選手にはなれないのではないか。
そんなひ弱な選手に「人生がかかっている」
なんて言葉を吐いてほしくない。
たぶん、いまの選手たちはテレビゲームばっかやっているのだろう。
テレビゲームでは審判が間違うことはない。
完璧で当たり前。それが普通なのだ。だから、人間の間違いを許せない。
ビデオを入れたりするくらいなら、全部、コンピュータでやったらいい。
センサーを取り入れて判定を下せばいい。
そんな野球になったら、もはや絶対に見ない。
公平さがすべてではない。スポーツは入学試験とは違う。
誤審も、間違いも、失敗も、全部ひっくるめてスポーツではないのか。
間違ってもいいではないか。そういうこともあるでしょう。
責められるべきは、やるべきことをやらなかったときであり、
やるべきことをやって失敗しても、とがめられることがないように
しなければ、思い切ってできない。
これはスポーツだけでなく、すべてにいえることではないかと思う。