カポーティの『冷血』を読了

映画『カポーティ』を観る前に読み始め、やっと読み終わった。
5年の歳月をかけて編み上げた長編ノンフィクション・ノベルは
大変読みごたえのあるものだった。
事件に関係するあらゆる人物に行った綿密な取材は、会話の94%を
記憶できるという、彼の驚異的な記憶力によって成し遂げられた。
私たちのような取材者は、普通テープレコーダーなどの録音機材を
現場に持ち込むが、彼はいっさいそうしたことをしない。
その面では取材対象者の、心理的な「壁」が取り払われたからこそ、
ここまで詳細な記述ができたのだろうと思う。
ただ、作品としておもしろかったかどうかというと、
特別おもしろいとは思えない。
エンターテイメントとしてはあまりたのしめなかった。
その中で手に汗握ったのは、二人の犯人が、
一家4人惨殺の状況を語る場面だ。
2人の男の揺れ動く心情や、殺される人々の悲しみが、
情景がまざまざと思い浮かぶほどの緻密さをもって描写される。
映画『カポーティ』の中で、カポーティは犯人のひとりを
「彼は金脈だ」という。ネタになるということだ。
私が上野のホームレスの取材をしたときも、知り合ったテレビの
制作スタッフが「ここは宝の山だ」と言っていたのを思い出す。
ジャーナリストとか、人を取材する側の人間は、
人の人生を食いものにしているとよく言われる。
『冷血』でカポーティに取材された人々には、その後、
この作品に出たことで人生を狂わされた人はいなかったのだろうか。
そんなことを考えてしまうほど、聞き取りの内容が、微にいり、
細にわたっているのである。
なくなった一家と親交のあった人たち、犯人の家族や友人たちといった
生き残った人たちは、この事件をどう捉えたがよくわかる。
銃社会の問題を考えるとか、貧困家庭の問題、差別の問題などには
ほとんど踏み込んでいない。
あるのは一家4人が銃で惨殺されたという事実のみ。
カポーティがこの作品で何をいいたかったのか、
それとも何もいいたいことはなかったのか。
映画を観ても、本を読んでも、わからないのである。