映画『三十四丁目の奇蹟』

三十四丁目の奇蹟 movie

クリスマス映画としてとても有名な本作。
なんたって「サンタクロースが実在することを立証する」映画
なんですからね。
といえば、とても興味を持ってもらえるかもしれない。
あるとき、百貨店のパレードのサンタクロース役として
たまたま登用された、通りすがりの老人クリス。
百貨店のお抱えカウンセラーから「精神異常」とされた
クリスは病院に収容されてしまう。
子どもの夢を壊すまいと、
「私はサンタクロースだ」と宣言したからだ。
そしてクリスがサンタクロースか否かを判定する審理が
最高裁法廷で行われるというストーリーです。
「サンタはいるよ、みんなの心の中に」
という人はいるでしょう。でも、そういう話じゃないんですよ。
「子どもの夢を壊さないように、サンタはいるってことに
しときましょうよ」という大人たちの談合の話でもない。
ましてや「夢をもちましょう」といってるのでもない。
なんというかな、「信じること」という、無形の資産について
言っているんですね。
「サンタクロースはいるの?」という質問を新聞社に送った
アメリカの八歳の少女に、編集者が紙上の社説で解答した話を
知っていますか? 編集者はこう答える。


「サンタクロースはいるのですよ。目には見えないけれど、
愛や優しさや、誰かのために尽くす気持ちが存在するのと同じように。
(中略)サンタクロースを見ることは誰にもできないのです。
でも、それでもサンタクロースがいないということにはなりえません。
この世で最も本当のことは大人にも子どもにも見えないものなのです」


編集者は、大切なものは目に見えないものなんだ、
見えなくても感じられることができるんだと
いうことを少女に伝えかったに違いない。
愛や優しさや、誰かのために尽くす気持ちがあることを「信じられる」
ことが無形の資産、つまり目に見えないものこそが大切である
ということをこの映画は言っているのです。
夢や希望をもち、それがすぐに叶わなくても
信じて待ち続けることが生きる力になるという
ことではないかと理解した。
それをサンタクロースに託したわけですね。
「いる」という言葉は実在するという意味だけれど、
具体的な人間としての「存在」は、サンタクロースに限っては
どっちでもいいのだと思う。もっと大切なことが他にある。
ぼくが子どものころはサンタクロースについて
存在のあるなしをどうこう考えたことはなかった。
けれど、いまは確実に「存在」を信じられる。
「実在」するかどうかを云々するなら、現にグリーンランドには
国際サンタクロース協会というのがあってなんの権限からか、
サンタクロースを公認してもいる。
子どもができたらこう言うつもりだ。
「サンタクロースは一晩で世界中を回って時差を利用しながら
プレゼントを配っている。でも最近は寄る年並みには勝てず、
各家庭の親たちにその業務をアウトソーシングしている。
だが、グリーンランドのサンタさんのおうちに手紙を出せば、
そのプレゼントはきっともらえるよ。
でも、トナカイのエサ代もあることだから、プレゼントは
できるだけ子どもらしいものにしようね」と。