深刻さが足りない昔の米映画

アメリカの昔の戦争映画って、
なんか深刻さが足りないような気がしません?
先日、『ナバロンの要塞』を見たときもそんな感じを受けた。
大脱走』もそう。どちらも60年代の作品です。
シンドラーのリスト』『戦場のピアニスト』『プライベート・ライアン
などはかなりリアルにつくってある。悲壮感もある。
時代もあるのかもしれませんが、1960年代、70年代のものは
特にお気楽な感じがするんです。なんでだろ。
それをある人にポロっと言ったら、
「そりゃ、戦勝国だからな」と言うんです。
なるほど。
日本人が戦争映画をつくろうとすると、必ず特攻とか、
「召集される息子」みたいな話がメインになる。
戦時中の日本でも、戦争でうまいこと敵を倒したとか、作戦がうまく
いって攻撃が成功したという話もたくさんあるのだろう。
しかし、いまそうした話を映画にするのは、日本では難しい。
間違いなく周辺諸国が「帝国主義復権の兆しだ!」と騒ぎ
国内では「戦争美化」と煽るでしょうから。
ドイツでも似たようなものだと思いますが、どうなんでしょうか。
もしかしたら、60年代はアメリカにとって困難な時代だったので、
わざわざ映画を見てまで暗い気持ちになりたくない、
だったら、単純に楽しめる娯楽作品にしよう、
ということだったのかもしれない。
当時としてはあまり深刻になりすぎると、〝最近の〟ことだけに
生々しくなってしまうのかもしれません。
今になって『シンドラーのリスト』『戦場のピアニスト』ができるのも
心安らかに「戦争の悲惨さ」を振り返っていられる時代だと
いうことなのでしょうか?