きっかけ

「高級」や「贅沢」という言葉が嫌いという話を前に書いた。
なんでそうなったのか、きっかけがないと書いたのですが、
その後、よくよく考えてみると、ひとつだけあった。
高校2年生の終わりごろだったか、担任の先生(数学担当)が
私のテストの成績を見てこう言うんです。
「これからの半年間をがんばるか、がんばらないかで
その後の人生が決まってしまう」と。
つまり、いい人生を送るにはいい大学に入ることだと。
彼自身、こんなことを言ったことがあった。
「私は教師には向いてなかった。親が教師だったから、私も敷かれた
レールの上を走ってきただけだ」と。
そんなことカミングアウトされたって、こっちはどうせいっちゅうねん
と思ったものでした。
今は教師というのは大変狭き門ですが、当時、彼は50代でしたから、
彼が教師になった当時というのは、「デモシカ」だったと言います。
「教師にデモなるか……」「教師になるシカ……」という意味だそうです。
そういう旧来型の価値観を生徒に説いていた時代でした。
私が高校2年生のころは就職氷河期の直前で、
バブルが崩壊してまだまもないころ。
「いい大学に入り、いい会社に入る」という成功の公式が
まだ生きていたころでした。
でも「この半年間で……」と言われたときに非常に強い反発を
覚えたのは今でも強く記憶に残っている。
彼が言ういい人生とは「いい大学に入り、いい会社に入って
高給を取って安定的な生活をする」
ということではないかと考えた。
直接そうとは言わないまでも、彼の言葉から容易に読み取れる。
「半年で人生が決まってたまるかい!」と思ったのと同時に
「本当にいい大学に入れば、いい人生が送れるのか?」と
いうことを、初めて真剣に考えた時期であったと思います。
じゃあ、いい人生ってなに?
自分にとっていい人生は?
と考えたときに、やっぱそうじゃないよなと思ったわけです。
だからといって勉強に手を抜いたわけではないけれど、
いい大学やいい会社に「入る」ことではなく、
入った先で「いい仕事をする」ということが、
「いい人生」だと思うようになった。
ライターになろうと思ったのもこの時期だったと思います。
とにかく、有名大学に入りさえすればその後の人生が
約束されるとするような価値観の人間にはなるまいと思った。
だから、高給を取って高級車に乗りたいとも思わないし、
贅沢なものばかり食べて生活習慣病にもなりたくないと思った。
そういうふうにして始めたライター稼業でも、
読んでもらうものは市井の人たちに向けたものだったし、
地道に生きる人をたくさん見られたおかげで、自分の勉強にもなった。
逆に、金銭だけを貪るような醜い話も吐き気がするほど聞いた。
いいと思える話を取り入れ、嫌悪すべきと思えるものを反面教師に
して今までやってきたのだなあと自分で振り返ったのでした。
そういう話をすると、たまに激しく同意してくれる人もいますが、
多くは「変わったやつ」と思うようです……。