自転車と父と息子

日曜の午前10時ごろ、近所の公園で父子を見かけた。
お父さんがかがみ込んで、息子に何事か語りかけている。
傍らには倒れた自転車があった。
父親が息子に自転車の乗り方を教えているのだ。
子どもは5歳かそれぐらいだっただろうか。
服は砂で汚れている。何度も倒れたからだろう。
「わかったか?」と父親の強い声がした。
最近はこんなに厳しい親は珍しいのではないかと思う。
転んだら、「大丈夫か、痛かったか、もうやめような。
お父さんが乗ろうか」という親がいるとかいないとか聞いている。
父にとって息子に自転車の乗り方を教えることと、キャッチボールを
することは「コミュニケーションの二大テーマ」なのだ。
ふと自分の父親とのことを思った。
キャッチボールはよくやったが、自転車についてはほったらかしだった。
他の子が三輪車に乗るころにコマ付きの自転車に乗り、
他の子がコマ付きの自転車に乗るころには、コマ無しの自転車に乗った。
自転車で転び、前歯が二本折れたときも父親は笑っていた。
それぐらいほったらかしだった。だが、それでよかった。
自分の父親とのことを思い出すと同時に、「自分が父親だったら
どうするか」と「父親の視点」になっている自分に気づいた。
もはや自分が父になるほうが近い年齢なのだなあ。