電車の独り言おじさん

人と話すだけで精神的に楽になることがあります。
ただ声に出して話すだけでもいいんです。
だからなんでしょうね、電車でひとり何事が呟いている人が
たまにいます。話したい、声に出したいんです。
でも、今回の人は呟くレベルではなかった。
本当に誰かに話しているように、発音するんです。
年は50〜55歳ぐらい。性別は男性。
服装は何かの作業着だろうか。大きなバッグを持っている。
2月10日、午後9時ごろ。京王線下りの車中でのことだ。
この男性はドア付近に立っており、鉄の棒につかまって
座席のほうを向いて声を出している。内容はこうだ。
「人間ってのは話をする人としない人がいるんだな、
おもしろいんだな、話をする人としない人がいるんだから。
でも、最近は話をしない人が多いんだよな。わかるだろ?
話をする人としない人がいるんだから」
これと同じ内容のことを3〜4回繰り返す。
話の脈絡はまったくわからない。
私が笑いをこらえていると、彼はいきなりドアの窓のほうへ振り返り、
「おぅっ!」と言って、上り電車が轟音を立てて通り過ぎるのを
見ている。すると、私のほうにバッと振り返り、私のほうを
覗き込みながら、人差し指を私のほうに向けて、
「びっくりした?」というのだった。
私はいまにも噴出しそうになるのを必死の形相でこらえた。
今までに私の身に起こったどんなにつらい出来事を想像してみても
その笑いは押し殺せそうになかった。
くすっとなったのを見た彼は、満足そうにまた話をするのだった。
「あれは11両編成なんだよな。まあ、毎日乗ってるからわかるわな」
さっきすれ違った電車のことを言っているようなのだ。
そうこうしているうちに、また上り電車とすれ違った。
「行ったッ!」と言って、また外を見やっている。
私はもう限界だった。
(もうやめて〜これ以上やられると笑ってしまう。
笑うとまた彼のエジキになってしまう……)
と思ったところで、私の降りるべき駅についた。
そのときまで、私は他の乗客の様子も観察していたが、
誰一人として彼を気に止める人はいなかった。
きっぱりと無視を決め込んでいるのだった。
たぶん、大阪だったら「何いうとるんや、おっさん!」ということに
なって話が始まるのだろうと思う。
とはいえ、彼はなんでもいいから誰かと話したかったのだろうと思う。
彼の話の内容から察するに、こういうことではないか。
「最近職場では若い人が多くなって、自分とあまり話をしなくなった。
それはつまらないことだ。だから電車で話してもいいだろう、
なあ、あんた?」
時間があったら、ああいう人の話を一度じっくり聞いてみたい気がする。