忠信

豊臣秀吉がまだ羽柴秀吉と名乗っていたころ、
天下統一に向けて各地の大名たちを傘下におさめていくとき、
家臣の忠信をもっとも大事にした。
海外では敵を倒すと一族郎党を皆殺しにするが、日本では
自分の家臣として召抱えた。
秀吉は戦の途中で投降してきた者より、
最後まで戦い抜いた武将を重用した。
自分たちが負けそうだからといって諦めて寝返る者より、
秀吉に最後まで抵抗した者を生かそうとした。
日和見主義者より、戦って死ぬことを選んだ者を重んじた。
忠義を尽くすことの重さを認識していたからだ。
件のマンション販売会社やIT会社で、離職者が続出した
という話を聞いて、そんなことを思い出した。