心と物。抽象物と具体物

「会う」と「合う」。
この2つを意識して使い分けていますか?
実はこの2つは明確な違いがあるのです。
人とのであいは「出会い」、事象とのであいは「出合い」なんです。
「出逢い」は常用外ですから、「出会い」と同じです。
「あなたと出会った」であり、「この職業に出合った」が
正しい使い方なんですね。
ぼくはつい1、2年前までこの区別を知りませんでした。
他にもそういう漢字があります。
たとえば、「越える」と「超える」があります。
壁など具体的な物をこえるときは、「越える」。
「営業目標をこえる」というときは、「超える」なんです。
つまり、前者は具体的なものの場合、後者は抽象的なものの場合です。
人を具体的、事象を抽象的と考えれば、同じです。
だから、「お見合い」は、「見会い」ではなく「見合い」。
人ではなく、条件という抽象物を見るからなんですね。
これと似たような漢字があります。
「見る」と「観る」、「聞く」と「聴く」。
「見る」は一般的。「観る」は「観賞・鑑賞」するときの「みる」です。
絵画を観る、映画を観るなどです。
「聞く」は一般的。「聞く」は心して聞くときがそうです。
音楽を聴く、事情を聴くなどです。
これも単に網膜を通してみるが「見る」、鼓膜を通してきくが「聞く」
であり、そこに心が入ると「観る」であり、「聴く」であると
いうことができると思います。
網膜とか鼓膜を通して感知できるものは具体で、
心が入ると抽象だという言い方もできると思います。
中国から入ってきた漢字にしろ、日本でできた漢字にしろ、
漢字をつくってきた昔の人たちは、心のあるなしや具体と抽象を
ちゃんと理解して、区別していたんです。
いまさらながら、人間ってすごいなって思いますね。
心や目に見えない抽象的なものを意識することが、
他の動物には到底真似のすることのできない、
人間の「らしさ」なのだと思います。