「どうして生まれたの?」

「どうして生まれたの?」 あなたはこの質問に答えられるだろうか?


岡山の実家に帰省するとき、私は同郷の友人Fと同行した。
新幹線のぞみはいくら待っても立ちんぼで帰るハメになりそう
なので、ひかりで帰ることにした。
いかんせん、時間があり過ぎた。
話すことがなくなってくることは目に見えていたので、
新幹線に乗った瞬間から、私は友人Fの取材にとりかかった。
「どこで生まれたの?」
「どこの小学校に通ったの?」
「どんな子ども時代を過ごしたの?」
一通り質問したところで、今度は友人Fが逆に質問してきた。
それが冒頭の言葉だった。
「どこで生まれたの?」ではない。
「どうして生まれたの?」なのだ。
「なぜ」「どうして」あなたは生まれたの?
のっけから非常に哲学的な質問をされて、私は口ごもった。
どうしてだろう? そんなの、私が教えてほしいくらいだった。


帰省した次の日、私は母親と話していた。
母親は過去、祖母と折り合いが悪かったらしい。
「あのときおばあさんと同居することになっていたら、
あたしはお父さんと別れて、あんたは生まれなかった……」
そう母親は事も無げに言い放った。世に言う嫁姑問題である。
私は「ふーん」とやっと応えたが、「おれってそんなものなのか」と
思わずにはいられなかった。
こればっかりは「そんなもんだ、そんなもんだ」で
済ますわけにはいかない。自分の出生に関わることなのだ。
自分の存在は、ちょっとしたことで(母親にしてみればちょっとした
ことではないかもしれないが)吹けば飛ぶようなものだった。


で、冒頭の「どうして生まれたの?」についての回答は、
今なら明確に出すことができる。
「母親と祖母が一時的にでもうまくやってくれたからだ」と。
だから、私は今でも母親と祖母にはうまくやってほしいと願っている。
そうでなければ、自分の存在がとても危ういものに
感じられてならないからだ。
この話を読んだ人には、私のこの話を笑い飛ばしてほしい。
そして、そばにいる身内の人と、少しでも仲良くしてもらいたい。