出版業界で仕事をしていると、同和問題には神経質になる。
ちゃんと書けばまったく問題ないし、そうした本も出ている。
けれど、中途半端に扱ったり、安易に比喩で使うと問題になる。
ぼくは西日本の出身なので、学生のころから教育を受けてきた。
高校1年生のとき、道徳のような授業で同和問題を初めて知った。
テキストが配られ、被差別部落がどのような経緯で生まれ、
どのような差別を受けてきたかを知った。
一通り授業を聞いたところで、ある生徒がこう言った。
「ぼくは被差別部落の存在を知らなかったし、今日、知らされなければ
これからも知ることはなかっただろう。そうやっていけば差別も
おのずとなくなったはずだ」
つまり、「寝た子を起こすな」ということなのだ。
だが、担任教師は毅然としてこう言った。
「そういう議論は確かにある。ただ、そうやって教育しないできた
おかげで差別がなくなったかというと、なくなっていない。
今も現実的に就職差別や結婚差別が行われている。
あなたたちが知らないだけです。だから、あなたたちはちゃんと
差別があることを知って、差別のない世の中をつくって
いかなくてはいけないんです」
ぼくはこの先生の言う通りだと思う。
無知が一番の恥。
知らないだけで現実には存在する差別を、関係ないからと言って
知らないでいいということにはならない。
言い過ぎかもしれないが、「知らなければ差別はなくなる」というのは、
「知れば差別をする」ことになる。「知らないから差別する」のだ。
なぜそういう差別が生まれたのか知ることができれば、
そんな差別は不毛だということがわかる。
差別があることを知り、なぜ差別が行われるかを知り、
自分が差別しないようにするだけでなく、次の世代に差別がなくなる
ように情報を伝えていかなければならない。