走れ、ミニトレイン 

あるとき、友だちと話をしていて、なんで勉強ができなかった
というと、「現象に対する興味がなかったから」という
結論に達したことがあった。
しばらくして、あるフリースクールでスタッフとして働く方に
話を聞くチャンスがあった。
フリースクールとは、友だちや家庭などさまざまな理由から
学校に行けなくなってしまった子どもたちの
居場所を提供しているところだ。
「数字を見るのもイヤという数学嫌いの子が、
ミニトレインをつくりたいというんです。
設計からするから、どうしても数学は必要になってくる。
曲線を計算するのに、三角関数もできなければならない。
でも、ミニトレインをつくりたいものだから、
必死に勉強した結果、三角関数
すらすら解けるようになったんです。
興味のあることについては勉強したい気持ちになってくるんですね」
そう言って、ご本人も感心した様子だった。
東工大の名誉教授で、ロボコンの生みの親である
森政弘先生もこう話していた。
「ロボットをつくる過程で、わからなくなったら教室の隅の黒板で
物理や数学を教えるようにしたらいいんです。理論ではなくて、
まずつくることからやる。今の学校は逆をやっているんです」
数学者の秋山仁さんは、「みんな数学はどこで役に立っているか
らからないっていうけど、実は知らないだけで、実生活のいろいろな
ところに数学は使われているんですよ」
という意味のことを話していた。
実際の現象から学問が出来上がったはずなのに、勉強するときは
論理から入る。論理だけ覚えるからすぐ忘れる。
だから、勉強ができるということは、頭がいいということではなく、
好奇心を持って、興味を持つことのできる才能なのだ。
理解力が乏しいということは、興味を持っていないだけ。
そう考えたら、「もっと何か自分にできることはないか」と思える。
そして、「できることがある」と考えられるだろう。