上か下か 

どこか遊びに行ったとき、必ず城に行くんですね。
先日、諏訪湖に遊びに行ったときも、高島城というお城を見物した。
今まで行ったことのあるお城というと、姫路城、松本城彦根城
犬山城などの天守が現存しているお城はだいたい行っている。
大阪城名古屋城岡山城は言うに及ばずである。
ちなみにシンデレラ城も行ったことある。
ところで、この高島城は諏訪市にあるのだが、諏訪には
上諏訪と下諏訪という地名がある。
この「かみ」と「しも」は旧国名で、他にもある。
上野(群馬)、下野(栃木)などがそうだ。
似たような国名に「前」「中」「後」を用いる場合もある。
越前(福井)、越中(富山)、越後(新潟)などがそうだ。
この場合、京都御所から見て近いほうを「前」とし、
遠い方を「後」とし、その間を「中」としている。
ところが、上諏訪、下諏訪を地図で見ると、京都から近いほうが
下になっている。なぜなのか考えてみると、これは東京(江戸)
から見て近いほうが「上」になっているのだと気づいた。
たぶん、上諏訪、下諏訪が、江戸幕府成立後の五街道のうち、
諏訪を通る甲州街道にできた宿場町だったから
ではないだろうかと思う。
上野、下野も日光街道で考えると説明が付きやすい。
千葉県の南部の上総、下総も同じように考えたいところだが、
江戸から見ると、上総の方が遠いのだが、陸路ではなく、
海路を用いていたのではないかと想像できる。
ぼくの推察では、「上下」を使った旧国名は、江戸幕府成立以降で、
「前中後」を使った旧国名江戸幕府成立以前、つまり、
まだ京都に首都があったころのものではないかと思う。
お城の天守閣でそんなことを考えてみたりしている。