支度

本日をもってブログをはじめて365回目の日記更新となりました。
自分の書いたものについて吝嗇な私は、いままでに書いた
ブログ日記をワード文書にも残してある。
調べてみたら1年間で約15万字の文字を書いていた。
ひとつの文字につき2回キータイプするとして、ざっと30万回も
あのアルファベットが並んだプラスチックの板を
10本の指を駆使して叩いてきたのだ。
15万字がどんな意味をもつか、あとになって読み返してみたらわかるかな。
そこで、区切りとしてこんな話をしてみたい。
           *
携帯電話のグループ登録ってありますよね。
あれってどれくらいの人が活用しているんでしょうね。
ぼくは全然、活用してませんね。それほどマメじゃない。
でもこのことについて、ちょっと考えさせられることがあった。
数年前、小学校から高校までずっと一緒だった同級生の訃報を聞いた。
連絡を取り合うことはなかったが、よく知った同級生だった。
小学生時代は同じクラブに所属していたこともあった。
2004年の10月、ある友人の結婚式の日、地元の友人ふたりが
上京してきて、中学卒業以来、14年ぶりに会った。
05年になってまた地元でふたりと再会したのだが、ひょんなことから
携帯電話の話になった。そのうちのひとりが言った。
「おれはちゃんとグループ分けをして、登録しているよ」
彼は、数年前に亡くなったあの同級生と大の仲良しだったのだという。
彼は、その同級生の両親から息子の携帯電話を託されたのだろう、
渡された携帯電話のメモリーにある友人関係すべてに
その同級生が亡くなったことを連絡したという。
「あいつがグループ登録してなかったから、全員に連絡しないと
いけなかった。本当に大事な人だけ何十人かをグループ分けしておけば、
もし死んだときに、その人たちだけに連絡すればよかったのに」
「だから、おれはグループ登録することにしたんだ」と彼は言った。
ぼくは考えてしまった。彼はもう支度しているのだ。自分は……。
先日、近況報告も兼ねて仕事の経過を報告した。54人の人にメールで
送ったのだが、自分がもし彼と同じようにグループ登録するとしたら、
この54人のうち、何人を入れ、何人をはずすのだろうか。
どんな人を、「死んだことを知らせたい人」として登録するだろうか。
親、兄弟、親戚はもとより、地元の友だちか、東京の友だちか、
知人関係まで広げるか。グループに入れる人と入れない人の
違いはいったい何なのか、考えてしまう。みんな大事な人たちだから、
序列をつけるようなことはしたくない。
逆に、自分を「死んだことを知らせたい人」のグループに入れて
くれる人がどれだけいるだろうかと思う。
30歳になった。そうでなくても人はいつ死ぬかわからない。
今のうちにやりたいことをやり、伝えるべきことを伝えないといけない。
支度をするのに早いということはない。
でも、やっぱり、携帯電話のグループ分けをする気にはなれないけれど。