一年に一度、会おう

友人からこんな話を聞いた。
その友人の親友の兄が泥酔し、電車に轢かれてなくなったという。
事故の状況も聞いたが、そんなことはここでは書かない。
ぼくはお酒に強くないので、あまり泥酔する人の気持ちが
わからないから、どうしてそんなことになるのだろうと不思議になる。
遺族はどこにもぶつけることのできない、くやしさ、
やりきれなさを抱えている。
「泥酔して、電車に轢かれて、バカなやつだ」と
一笑に付すことは簡単だ。
けれど、このことで何か教訓があるとしたら次のようなことだと思うのだ。
「亡くなった人と一緒に飲んでいた人が誰かいたなら、
家に着くまで送っていってあげることはできなかったの
だろうか」ということだ。
もちろん、周りの人も気をつかってはいたと思う。
これまでにも同じようなことがあったから、今回もきっと
大丈夫だろうと思ったのかもしれない。
それぞれ次の日の予定があるから、深夜までその人の
酒に付き合っているわけにもいかないのだろう。
でも、周りの人がもっと何かできなかったのかと思う。
私たちは、どれだけ自分が大事な存在かをわかっておく必要がある。
何か起こったときに、それを理解するのでは遅いのだ。
もちろん、前後不覚になるぐらい飲んでしまう人に落ち度がないと
はいえない。確かに、そんなに飲むことはないと思う。
この場合、本人の責任は大前提だ。
そのこととは別次元で、自分のことを振り返って考えさせられる。
自分はそれほど周りの人に気を配っているだろうか、と。
何か頼みごとがあるときだけ連絡をとり、人間関係が打算的になっていく。
それでいいのか、と思う。
もっと周りの誰かを気にかけるべきではないのか、と思う。
何も酔っ払ったやつだけでなくていい。
誰にも言えなくて、膝を抱えてうずくまっているやつはいないか。
落ち込んで、引きこもっているやつはいないか。
病気がちで苦しんでいるやつはいないか。
誰だってさびしい。
この厳しい世の中の波をやりすごすのに、
群がって立ち向かっていくことが必要だ。
よってたかって、一緒くたになって、
協力しあっていくことが必要だ。
「自分のことで精一杯で、日々、他人に無関心になっていく。
それでいいのか?」この問いを絶対に忘れない。
遠く離れていて、簡単には会えないかもしれない。けれど――。


今日は七夕。そんな仲間たちに……
一年に一度、会おう――。