泣けるはずはない 

あと10日もしたら、地元岡山の高校野球が始まる。
母校の野球部もベスト16には残ってくれそうな気配だ。
12年前、高三の夏を思い出す。私も高校球児だった。
1回戦に勝ち、2回戦。相手は優勝候補筆頭で、
プロ注目の選手がいた。
そんなチームに私たちのチームは負けた。
試合後、選手全員がロッカールームで号泣した。
私は泣けなかった。
練習にも出てこなかったヤツが堂々と泣いている。
それで、一気に覚めてしまった。
その涙って本当か?
何が悲しいの? もうちょっと練習しとけばよかったって?
そんなんで、一緒に泣けるわけないじゃん。
絶対にこいつらと一緒に泣けるはずがないと思った。
そんな青春ごっこに付き合ってはいられないと思った。
自分なりに精一杯やったとは思うけれど、
今思えば、もっと努力できることはあった。
もっとできたはずだった。
そんな中途半端な悔しさで泣けるはずがなかった。
でも本当に努力していたやつは何人かいた。
泣いてもいいのはそいつらだけだと思った。
そいつらに恥ずかしくて、一緒に泣けるはずがなかった。
大学でも野球を続けて、泣いたことが三回ある。
一度目は、7−22で負けたとき。
二度目は、部を辞めようと思ったとき、仲間が励ましてくれたとき。
三度目は、4年生の夏、最後の試合が終わったとき。
三度目のときは、私しか泣いていなかった。
私は一人、号泣した。あの高三の夏の分を取り返すように。
そのときの涙は悔し涙ではなかった。
嬉しさと寂しさと、何より、仲間たちのへ感謝から出たものだったと
今にしてみれば思う。
またやれるだけやって、いくところまでいって、
号泣するような体験をしたみたいと思っている。