猫の目で見れば 

猫が好きになったのはいつからだろう。
小学生のころに実家にやってきたころからだったと思う。
その猫を私はいろんな意味でかわいがった。
不良学生が、「かわいがってやろうか? アン?」という
ときのかわいがるとほぼ同義であった。
その猫が死んだとき、私は泣いた。
三日三晩泣いた。
布団を頭からかぶって、もう猫は飼わないと誓った。
しかし、半年もしないうちにまた新しい猫がやってきた。
今度はペットショップのおねえさんがお客に、
「かわいがってやってくださいね」というときの
かわいがるとほぼ同義の意味でかわいがった。
猫は二匹になり、三匹になった。
彼らは今でもしっかり実家で生きている。
15歳になったやつもいる。
三匹いてわかったのは、猫にもそれぞれ個性がある
ということだった。昼寝をする場所、好きな食べ物、
好きな人。それぞれ好みがあり、一つ屋根の下で
過ごしていても何もかも違っている。
彼らはエサをくれる私の母親を最も好いていた。
私がどんなに日中、猫ジャラシで遊んであげようと、
どんなに添い寝してあげようと、それは変らなかった。
猫の目からみたら、私がどんな人間か、よくわかるだろう。
日常をどのように過ごしているか、家族にも見せない姿を
彼らは見ていた。
たとえば、男の子の所作とか、入浴シーンとかだ。
私はそういう場面を惜しげもなく披露した。
彼らはそういう場面に出くわすと、〝それらしい〟顔をして
傍らからそっと私を見つめているのだった。
そんな彼らを私は愛おしいと思った。
だけど、今度は、実家で猫が死んでも泣くつもりはない。