感じられる才能 〜速水の気づき〜

物事の受け止め方は個人によってものすごく差がある。
ぼくは、あらゆる面で平均的な在日日本人なので、
特別な才能はない。
けれど、ひとつだけあるとしたら、「感じられる才能」
なのではないかと思う。
何度もこのブログで触れている、漫画『巨人の星』で
こんな場面があった。
主人公・飛雄馬ジャイアンツの入団テストを受けるのだが、
そのときに同期入団したのが、めっさ足の速い、その名も「速水」だ。
速水は、阪神の花形が鉄球を鉄バットで打ち返すという、
大リーグボール1号を打つための秘密特訓をしていることを知る。
しかし速水はそのことを球団関係者に知らせずに、ライバル飛雄馬
いつ打ち砕かれるのかとほくそ笑んで見ている。
花形は、念願かなってついに大リーグボール1号を打倒する。
だが、ホームランを打ったあと、三塁ベースを回ったところで倒れる。
あまりにも強いスイングをしたため、自らの体を痛めつけてしまったのだ。
花形は体中を複雑骨折してしまう。
そこでやっと速水はいかに自分が姑息で、卑怯で、ちっぽけな人間だったかを知る。
「これほどまで体を張って野球に賭けているやつがいるというのに、
自分はなんてちっちゃいやつなんだ」と、地面にひれ伏して号泣するのである。
この速水の気づきこそが、人として向上するための要素だと思う。
ぼくはこの「感じられる才能」とでもいうべきものだけは
自分に備わっていると思うのだ。
自分を省みるというのかな。
何かあったとき、人事じゃなくて自分はどうかって考えてみる。
それは速水の気づきと同じことなんだと思う。
速水は「それ見たことかって」笑っていることもできたと思う。
けれど、速水は気づいた、自分の不甲斐なさに。
周りで毎日のように、重大なことが起きている。
ある人は何も感じずに通り過ぎる。
ある人は感動し、涙を流す。
それを「感じられる」ことができるかどうか。
そんなことに、できるだけ鋭敏になっていたい。