浮気を科学する

どっからが浮気か、浮気は許せるか。
たぶん一神教と、一夫一婦制度が開発されたころから、
無数になされてきたであろうこの議論に今日は取り組む。
浮気を嫌悪する本能が生まれつき備わっているわけでないことは、
一夫多妻、一妻多夫の部族や民族がいることからし
間違いないと思われる。
だから、社会情勢によってそういう意識が備わってきたと
思われる。
よく言われることだが、遺伝子が人間の肉体という乗り物を
乗りついで、生き残りの道をさぐるというのが、人間の生殖行動だと
考えられている。
というわけで、浮気、不倫の類は周囲からいくらでも聞こえて
くるのであり、そこには男女の差はあまり感じない。
生物的にいうと、浮気は自然な行為なのだ。
ところが、生物的と社会的というのは相容れないことも多いもので、
社会的に嫌悪されていることがらは、できるだけ避けて通る
ほうが生きやすい。
だから、浮気、とくに不倫は避けて通ったほうがいいのだと言える。
それをどうしてもしたい人は婚姻という制度にのっからなければいい。
いまではそれもどんどん世間的に認められてきた。
つまり結婚しない生き方だ。
そうだ、結婚しなければいいのだ、そういう人は。
結婚するから、離婚だとか、慰謝料だとか、誰の子どもだとか
もしかしたら兄妹かもしれないとか、やっぱそうじゃなかったんだ
ああよかったとかいって、冬ソナみたいにやきもきすることもないのだ。
結論。
・浮気はすればいい。ただし、相手に刺されない程度に。
・1人で満足できない人は結婚しなければいい。
・しかし、結婚して浮気や不倫をしないでいるほうが
社会的に生きやすい。
・結婚して浮気や不倫をして、それを隠そうとするがうまくいかない
ことが多い。いつかはバレる。大切なのは、バレないようにするよりも
バレたときにどう対処するかということだ。