ばかをしてみたかった

失恋したときに、その苦悩から身を救うのは多忙である。
芥川龍之介がそんな意味の言葉を残している。
たしかに腑に落ちるところがある。
失恋したとき、よく死ぬほど笑ったり、ぶっ倒れるほど走ったり、
のどが嗄れるまで歌ったり、とにかく極端なまでに
大量のことがらを消化しようとした。
ばかをしてみたかった。
ばかなことをしていれば、気がまぎれた。
量より質が重要であることもあれば、質より量が必要なこともある。
ある一定の理解を示すことができるようになるには、
ある一定の量をこなすことが必要になる。
音楽や芸術、ものの良し悪しを本当に理解するためには
おびただしい数の量をこなしたことは必ず後に糧となる。
そう思って、ぼくは今年映画を観続けてきた。
数をこなすことが今回の目的であり、目標であり、ことの本質だ。
いまでも何かばかなことをしてみたいと思っている。
いまでも何かたくさんの量のなかで溺れかけてみたいと思っている。
失恋したわけではない。
多忙のあとには、轍だけではない何かが残されることを期待しながら。