監督になった男

3人の監督がいる。
中日ドラゴンズ出身の監督が来年は新しく2人増える。
揺れに揺れたプロ野球界に、来季から新しく参入する
ことになった楽天田尾安志氏と、横浜ベイスターズ
監督に就任した牛島和彦氏だ。
ぼくは86年に星野仙一氏が監督になったころから中日の
ファンだった。それまでの中日を支えていたのが、
田尾と牛島だった。
現在、田尾51歳、牛島43歳。ファンでなくとも
彼らの勇姿はいまだに目に焼きついて、打撃フォームや
投球フォームをありありと思い出すことができる。
彼らはプロ野球が最も華やかだったころの、
幸せなスター選手だった。
その中日ドラゴンズにもう一人スターがいた。
谷沢健一だ。
谷沢氏が晩年のころ、ぼくはテレビで見てそのいぶし銀の
打撃に老獪なテクニックを感じ、「孤高の」とでも形容詞が
つくような雰囲気を感じていた。現在、57歳だ。
その谷沢健一氏が去年から監督になった。
プロ野球の監督ではない。
社会人野球の監督でもない。
西多摩クラブという、東京の一クラブチームの監督だ。
プロ野球の、しかもスター選手だった人物が、クラブチームの
監督になるなどということはいままで考えられないことだった。
近年激減した社会人チームからあぶれた選手たちの受け皿に
なっているクラブチームだが、技術レベルでいうと、
企業チームと同じレベルのチームもあるが、かなり落ちるという
チームもある。どうしたって、「都落ち」の感はぬぐえない。
谷沢氏はチームのことを「ここはぼくの野球の原点」と話す。
試合が入ればテレビの解説の仕事も断り、無報酬で引き受けている。
クラブチームの選手たちは仕事の合間を縫いながら、平日の個人
練習と土日の全体練習で技術向上を図っている。
彼らの真剣さは、プロ野球選手にも社会人チームの選手にも
決して劣るものではない。
なぜ谷沢氏は監督を引き受けたのか。
野球のレベルが問題なのではない。
何かを真剣にやった上で、自分が努力し、チームが勝ったり
自分が上達するという成功体験を得ること。
それが生きる力になる。
彼がいう、「原点」とはそういうことなのだろうと理解している。
西多摩クラブの試合はぼくが住んでいる近くの球場で試合を
することがあるようだ。
来年の春には応援に行って、彼と彼らの生き様を見るつもりだ。