他人の幸せ、喜べる? 

大谷翔平に対する、うちの子たちの反応がおもしろい。

ニュースに大谷さんばかり登場するので食傷ぎみで

「もういいよ!」となっているのだ。

ちやほやされることや、お金を稼いでいることに対する

やっかみもちょっとあるみたい。

そういうのを見ていて、B‘zの歌詞が浮かんだ。

「他人の幸せを喜べる人になりなさい」

そうよね、そうよね。

「人の不幸は蜜の味」でみんな不幸な話にばかり興味持って

「この人より私はまだマシ」といって溜飲を下げるような

人にはなってほしくない。

もう親からの直言が響く年頃ではないから、変化球で

「こんな歌詞があるよ」と子どもに言っている。

見極め 

ちょっとしたことで大学4年生の、これから働きだすという

彼と話すことがあった。

新入社員からの3年間が一番成長するときだから、

この時期を踏ん張ってやったほうがいいということと、

もうひとつ、彼に言ったのは「苦言を呈してくれる人を大事に」

ということ。

いまの上司たちはあまり叱ってくれないらしいです。

パワハラといわれるのが気になるからでしょう。

叱ったり、苦言を言ってくれる上司の中でも、

上司自身の己かわいさから出た言葉なのか、

こちらのためを思っての言葉なのかを、

見極めることだ。

前者の上司の言葉は聞かなくていいが、

後者の上司とは大切に人間関係をつくっていったほうがいい。

ともかく、新社会人のみなさんにはかんばってほしいと思います。

スマホが原因? 

「脳過労」なる言葉がある。

スマホをずっと見ていると、脳が過労のような状態になって

意欲の低下や集中力、記憶力が落ちたりするんだそうだ。

スマホの影響はいろいろと研究が進んでいて、

脳に刺激が強いのかと思いきやそうではなく、

スマホを見ると脳はリラックスした状態になるらしく、

脳は働いていないのだという。

意欲の低下や集中力、記憶力の低下は日々感じる。

改善するにはスマホを見ない時間を増やし、

ボーっとする時間をつくるのがいいのだという。

スマホの刺激にさらされ続けると脳が疲れてしまい、

休んでしまう状態になるから、

脳を休ませるのがいいということなのだろう。

ただ、ボーっとするのも現代では難しいので、

何か単純作業に没頭するのがいいのかも。

ニコイチのはずがまさかの……

私はDIYがけっこう好きで、単に買ってくるより、

自分でつくったり、直したりして使うようにしている。

とくにパソコンなんかは、何かそれでやりたいことが

あるわけではないけど、いじっているとワクワクする。

先日は子ども用に中古パソコンを物色していた。

ヤフオクでジャンクで5000円台で落札。

ところが、物が来てみると、電源が入らない。

何をやってもダメ。

パソコン修理店に持ち込んでみたが、無理っぽいとのことで

諦めて、同じ機種を買い、2つのジャンクから

1つの正常品をつくろうという「ニコイチ」をやってみた。

先発のAは電源入らない症状。

後発のBはキーボードが壊れているけど電源は入る。

2つをバラバラに分解。

BのマザーボードをAに移植したら、普通に直りました。

その後、AのマザーボードとBのバラバラになった部品を

組み立ててみたのです。

「電源入らない、キーボードの壊れたジャンク」

としてヤフオクハードオフで売ろうかと思い、

組んでいくと、何かの拍子に電源スイッチに触れたのか、

ファンが回り、電源が入るではありませんか。

ニコイチのはずが、2つとも直ってしまった。

キーボードやハードディスク、メモリなどを

買うのにいくらかかかったが、

普通に中古品を買うより半分ぐらいの値段で

買えたのではないでしょうか。

ジャンク漁りが趣味になってしまいそうです……。

運命に挑む 

前日からの続き。

ここでいう運命とは、いろいろと諦めて生きる人生のこと。

夢が実現できる人はひとにぎり。諦めざるを得ない。

それに抗うことはできるはず、ということ。

そのために必要なことは2つ。

人と会って縁を結ぶこと、行動すること。

運命に挑むのだ。

人間もその他の生物と同様、最後は死んでいくだけの存在。

生まれては死んでいく、私たちが気にもとめていない小さな

生物と同じ。その点で見れば、人間の喜怒哀楽、葛藤、苦しみも

本当に意味のあるものは何もない。

けれどもその切なさの中で、いまある生をできるだけ有意義な

ものにしようともがくことはできる。

それこそが人間の最も尊い側面なのだ。

「説明したくなる欲求」との向き合い方

映画「君の名は。」の他の人のレビューを見ていると、

いろんな見方があっておもしろかった。

いろんなことが説明不足、という意見が多かった。

「それを説明すると野暮」といった次元のものではなく、

メインのストーリーに対して枝葉のところは、

見る人の想像力、解釈に委ねているということ。

「クリエイターというのはわかってほしい人種」と岡田斗司夫氏は

いうのだが、そのために説明を尽くそうとすると、

いろんなところで矛盾が出てくる。

私も若いころ、文章を添削してもらったときに

「下手に触れるから説明しないといけなくなる。

だったら、触れずに逃げておけばいいんだよ」

とよく言われたものだった。

「説明したくなる気持ち」をぐっと抑えて、

「本当に言いたいこと」をメインのストーリーの中で

語っていくべきだと。

じゃあ、メインのストーリーの中で本当に語りたいことは何かというと、

「人と人との縁(結)」と、「運命に挑む」ということの2つだろう。

この映画は、心とからだの入れ替わり、タイムリープ

パニックもの、それにラブストーリーを掛け合わせた

とても複雑な構造になっている。

ラブストーリーの軸にこれらの要素を絡ませながら、

男女の出会いの中にこの「人と人との縁」「運命に挑む」という

2つのファクターを埋め込んでいる。

人と人とが出会い、行動することで運命を変えることができる、

これが言いたかったことではないか。

現状に悲観したまま生きるな、人と出会い、行動し、

運命を変えていけ、この映画の監督はそういっているのだ。

これは閉塞感漂う現代に生きる私たちにとって、とても重要なテーマ。

何回も見直したくなるそんな映画でした。

取得時効とは 

10年間、また20年間、所有した場合、その人に保有権がなくても、

その人の持ち物になる

このように民法で決められている。

他人のものだとわかっていた場合は20年、

知らなかった場合は10年で、これを取得時効という。

民主主義においては、所有を主張しないと権利は失効する。

お金を貸した場合は請求しないと債権は消失する。

返してほしかったら、そう言わないといけないよ、

そうでないと返してほしいと認められませんよ、ということ。

いま所有者のわからない不動産が日本中でめちゃくちゃたくさん

生まれている。

取得時効によってどんどん所有者不明の不動産は活用して

いったほうがいいのではないか。

もちろん、それは公益にかなうかたちで。