難色を示していたトルコが譲歩したためだ。
これによってロシアがNATO加盟国と接する境界線は
これまでの2倍になる。
ロシアはこうした事態を懸念して核兵器を持つことにしたはず。
核をいくら持っていても、ウクライナの親欧米化を止められず、
NATO勢力を拡大させる藪蛇になった。
これは核の抑止力がもう通用しなくなっていることの証左ではないのか。
武力というのは、戦争をさせないための平和のための装置でありながら、
戦争が起こったときには人殺しの道具となる。
実際に核を使用すると、その国は国家として終焉となる。
だからまず使用することができない。
核で脅せば脅すほど、その脅威に慣れて「どうせ使えない」と
高をくくるようになる。
これを拡大解釈していくと、武器そのものでは平和は
維持できないことになる。
そういう思考になるためには、世界中の一人ひとりが
戦争の脅威を自分ごととして実感するしかないのだろうか。
実感しなくても済むように想像力というものがあるのだがなあ。