寛容であれ 

「今日の仕事は楽しみですか」

という駅のモニターに映された広告に批判が殺到し、

1日で掲載取りやめとなったというニュースを見た。

なんでも、この広告が「上から目線」とか、「ディストピアだ」

などという批判が殺到したからだという。

「今日の仕事は楽しみですか」の裏に

「仕事が楽しめないのはかわいそうですね」という言葉を

勝手に読み取った人が怒ったのだろうなと想像はできる。

この言葉はどうとらえるかは置いといて、私が思うのは、

「こんなことで批判されて謝罪に追い込まれるなんて、

息苦しい社会だな」ってこと。

だって、この「今日の仕事は楽しみですか」のあとには、

「今日の仕事が楽しみだと思える仕事が増えたら

この社会はもっと豊かになるはず」

と続いていて、「それを私たちはサポートします」っていう

広告だったのでね。

相手が伝えようとしている全体をとらえようとせず、

一部を切り取って、単語や短い文に瞬発力で反応するのは

現代社会の悪いクセ。

相手が伝えようとしている本質を理解するのは

それなりにエネルギーを必要とする。

読解力がいるのだ。

物事をよい方向に捉えようとするより、不満のはけ口として

怒りを注ぐ対象を見つけるとすぐに反応する人がいる。

SNSではそうした不満の声が増幅されやすい。

品川駅という限られた場所で流されたものも、

SNSを通じて全国に流布されてしまう。

そういうことを全部勘案した上で思うのは、

「腹立つけど、まあいいか」ができないものかということ。

広告主には毎日歯を食いしばって働く人を揶揄する意図は

ないことは明らかなのだから。

他者に寛容でないことは、自分も厳しい批判の目に晒されること。

逆に他者に寛容であれば、自分も許される。

「まあいいか」で済ます人が多数派になれば、

もっと生きやすくなると思うんだけどなあ。