「強制」は「制裁」を背景にして初めて成り立つ

「結婚して子どもを産み育てることが大切」
などというと、総スカンを食らう世の中ってどうなのか。
こういうことをいうと、
「生き方を強制されたくない」というのだが、
誰かが「結婚して、子供を産んだほうがいいよね」と
社会に言ったところで、世の人々を強制することなんかできない。
「結婚するかどうか」「子供を産むかどうか」は、
もともとというか、ずっと昔から自由だ。
強制されないという意味で自由だ。
日本の歴史上、結婚や出産が強制された歴史は、
私が知る限りない。
「強制」というのは、「制裁」を背景として初めて成り立つ。
法律は違反すると牢屋に閉じ込められるという
制裁を背景にしているから強制力がある。
校則は退学という制裁を背景にしているから強制力がある。
上司は人事権を持っていて、左遷させるという制裁を
背景にしているからハラスメントが成立する。
経済制裁があるから、国際ルールを守りなさいという
強制力が働く。
このように制裁がバックになければ、強制力は働かない。
だから、そもそも結婚や出産は強制されるものではない。
そんなのは誰もがわかっている大前提だ。
その大前提の上で
「結婚もしたほうがいいし、子どもを産んだほうがいい」
ということをその人個人の意見として言っている。
その意見を「そのとおりだ」とか、「僕の意見は違うな」と
いって意見交換するから議論が深まるのだ。
それを「強制されたくない」「どう生きようが自由だ」というと
話は終わってしまう。
もうそれ以上、話をしたくないというサインだよね。
それなら書き込みなんかするなよと思う。
この先、法律で
「結婚しなさい、子供を産みなさい、さもなければ懲役!」
なんてことになったら、「強制されたくない!」といって
断固闘うべきだ。
まあ、絶対にないと思うけど。